週刊とっしーぱんち

昭和生まれのブロガーが綴る、全力脱力系雑記帳

次世代Twitterができるとしたら?

おはよーございます。

前回のエントリで少し触れた次世代Twitterがあるとしたらどんなものだろう?という話を少しずつ書き溜めていこうと思いますシリーズ第1回です。

BLOGはWebLogの省略形である、ということで、このカテゴリでは自分の考えやアイデアを振り返りながら記録し、またそこから新しいアイデアを生み出せればいいなと思ってはじめてみようと思います。基本は自分に向けた内容になってしまうと思いますが、記事の中で共感できる内容や僕にはない視点での意見やアイデアがあれば是非是非コメント欄に記入いただけると嬉しいです。

きっかけ

まずは、この活動を行っていこうと思ったきっかけから。 僕自身もTwitterアカウントを所持し、趣味のプロレス情報を中心にTwitter生活を満喫する一方で、少しずつ問題を感じ始めてきていました。 「とてもオープンで自由で誰とでもつながることができる」ということのメリットが 「誰でも無責任に他人を嘲笑したり欺いたり、根拠のない噂を真実として広めたり、非難する」ということにつながってしまう、という点です。 そして、その思いを決定付けてしまったのが、ずっと前に書いたこの記事の内容となります。

blog.osio-toshimasa.work

この記事では自分の行動を自制するという意味で書いたのですが、その後も著名な方が自らの命を断ってしまうというような悲しい出来事が立て続けに起こり、徐々に自身への自制だけを続けていけばそれでいいのだろうか?と感じるようになっていきます。

優しい世界の創造

と同時に、繊細で心が優しくて、自衛することよりも自分を傷つけることを選んでしまう、そういう方達に対して少しでも心の負担を軽くする、安心で安全で穏やかな気持ちで楽しめる、そんなツールがあったとしたらそれはどういうものだろうか?ということを考え始めるようになっていきました。いつ頃かははっきり覚えてはいないのですが、自分が積極的にその世界を作るとしたら、という意識に変わっていったのです。なぜ自分で?というのが実は自分でもまだよくわかってないのですが、なぜだか自分がやらなくては、という気持ちが自然と生まれていきました。コロナ禍という危機的状況で自分の中に眠っていたものが目覚めたのかもしれないですね。あとは、日本という国と日本人であることに、誇りを持っていきたいし、尊重していきたいな、という想いも歳を重ねるたびに強くなってきているのでそういうのも影響しているのかもしれません。日本のお家芸は安心、安全にあると思っているし、日本人の持っている優しい気持ちや心の機微を組む感受性の高さは素晴らしいなとも思いますし。そういった日本の良さをサービスの前面に押し出していけないかなとも思っています。もはや記憶のメモ書きなんで人に読ませる文章でもなんでもないのですが、背景や動機としては書いてきた内容にちらばめられていると思うので、一旦はこのまま残しておくことにします。何回でも編集できるのがブログの良さでもありますし。

ではでは!